中外製薬株式会社
研究本部 創薬資源研究部
理学博士 新川高志様にお話を伺いました。
LC/MS を使ってタンパク質を解析するプロテオミクスの技術を用いた創薬研究をしています。
―お仕事の中でリン酸化タンパク質を扱われることは多いですか?実を言うとこれまではほとんど扱ってきませんでした。ところがMassPREPを使って簡単に効率よくリン酸化タンパク質の解析ができる、ということを実証して公表した途端に社内の様々な部署からリン酸化タンパク質の解析を依頼されるようになり、現在では結構な割合で扱っています。改めてリン酸化タンパク質に興味を持っている研究者が多いことを実感しました。
―タンパク質のリン酸化について、簡単に説明して頂けますか?
簡単に、ですか。よく言われているのがタンパク質のスイッチの役目をしている、ということですね。例えば、あるタンパク質“A”の特定の部分がリン酸化されると、酵素活性がONになります。その結果、別の“B”というタンパク質をリン酸化して、“B”の酵素活性をONにします。こうしたリン酸化を介した反応が連続的に起こることによって細胞外からの信号を細胞内に伝えて、細胞応答を引き起こすことができるようになることが知られています。また、同じタンパク質“A”でもリン酸化される部分が異なると違った働きをするということも知られていて、タンパク質が様々な生命現象を担うための重要な役割をもつものとして注目されています。
―ありがとうございます。では、MassPREPを使ったリン酸化タンパク質の分析法について、簡単に説明してください。
まず、培養細胞などの試料からタンパク質を抽出し、還元アルキル化後にトリプシン消化を行なってペプチドにします。これをMassPREPで処理した後にLC-MS/MS法で分析しています。
―それでは、抽出したタンパク質を酵素消化して、MassPREPリン酸化ペプチド濃縮キットを用いてリン酸化ペプチドを精製しLC/MSで分析されているのですね。このキットをお知りになって、ご使用いただくようになった経緯を教えてください。
2006 年の夏にイギリスのマンチェスターで開かれたウォーターズ主催のセミナーに参加させてもらったときに、リン酸化ペプチドを濃縮するキットがあるというのを聞いたのがMassPREPを知ったきっかけです。ただその時はまだ販売していないようだったのと日本では情報を得られなかったので、しばらくは忘れていました。最近になって販売を開始したということを聞いたのと、ちょうどリン酸化ペプチド解析法についての検討を始めようとして、各社から販売されているリン酸化ペプチド精製のための製品を購入するところだったので、購入しました。
―今回このキットをご使用頂いた印象、結果はいかがでしたか?
購入して感じたのは、MassPREPは96ウェルプレートタイプなので、検討段階で2~3個の試料のために開封して使用するのは、正直言って気が重かったです。注意書きに「開封後は湿気に注意」と書いてあったので、なかなか開封できず、他社の製品を一通り検討し終わってから開封しました。こんな感じで買ってから使うまでの印象は良くなかったのですが、使った後の印象は良くなりました。というのも、予想以上に良い結果が得られたからです。
―実際、一度に精製濃縮されるのは何サンプルくらいですか?
初期の検討段階では、数サンプルで、多くても10個にはならない程度でしたが、段々とサンプル数が増えてきて、今では10個以上が普通といった感じです。
―1回の精製濃縮でサンプルが1 、2個のみで96ウェル全て使用されない時は、どのようにしてプレートを保存されていますか?また、保存された後に精製濃縮に使った場合に回収率などに影響はありませんでしたか?
現在では、乾燥剤を入れたデシケーター中で保存するようにしています。というのも、最初の1つを使用したときにラップで包んで元の容器に入れて保存したのですが、使用する度に濃縮率が落ちてきて、1ヶ月もかからないうちに使い物にならないくらいの濃縮率になってしまったので、それ以降はデシケーターに入れて保存するようにしています。これだと3、4 ヶ月後でも濃縮率が開封直後とほとんど変わらずに使えています。
―そうですか3、4 ヶ月ですか。
先ほどリン酸化ペプチド精製用製品をいろいろと集めて比較検討されたとおっしゃっていましたが、弊社キットの回収率、スピード、使い勝手などはどうでしたか?良い点、悪い点お聞かせください。
今回は4社の5製品について比較を行いました。MassPREP以外の製品は全部1個ずつ精製するタイプでした。検討当初は、1個ずつ処理するタイプの方が使い勝手が良いと考えていたんですが、実際に手を動かして処理数を増やしていくと結構大変なことが判ってきました。
その点、MassPREPは処理数が増えても手間が変わらず、使い勝手が良いということに気が付きました。処理スピードについては、処理数が1個の場合にはMassPREPよりも速いものもありましたが、処理が多くなるに従いMassPREPの処理スピードの速さが際立ってきました。こんな感じなので特に使い勝手などで悪い点はないのですが、1点挙げるとしたら、バキュームマニホールドと吸引のための真空ポンプあるいはアスピレータが必要だと言う点でしょうか?これらを一式集めると結構な値段になりますので。
次に比較の結果ですが、今回は、MassPREPキットに付いている、エノラーゼの標準品(MassPREPエノラーゼ/リン酸化ペプチドスタンダード)を使って回収率と濃縮率について比較検討を行いました。その結果、回収率も濃縮率も個別には2番目の成績でした。
ただ、それぞれの項目で1番成績の良いものは、もう一方の項目で成績が悪い、という結果でした。例えば回収率が最も良かったものは濃縮率が悪く、リン酸化ペプチドに対する特異性がほとんど見られないとか、逆に濃縮率が最も良かったものは回収率が低く、ペプチドによっては10%くらいに減ってしまうといった具合です。MassPREPの場合、最も回収率の良かったものとリン酸化ペプチドのトータルの量で比べると80%くらいはありましたし、濃縮率は最も良かったものとほぼ同等のレベルだったので総合点で1位というところですね。
―ありがとうございます。使い勝手が良かったとおっしゃって頂いたのですが、時間としてはどうでしたか?
MassPREPでの処理時間はマニュアルにある通り、だいたい30分くらいで終わります。ただ、溶出液にリン酸水素二アンモニウム水溶液を使用しているので、溶出後に脱塩・濃縮作業が必要となり、それに約1時間ほどかかっています。ですからトータルで1時間30分くらいになります。ちなみに脱塩・濃縮にはウォーターズのOasisHLBを使用しています。
―トリエチルアミンを使用すると脱塩の必要はありませんが、リン酸化部位が複数あるペプチドではリン酸水素二アンモニウムで溶出した方がわずかに良い回収率が得られることが確認されています。Oasisで脱塩されているということなんですが、結果はいかがですか?
そうですか、そんなデータがありましたか。私は、0.5%アンモニア溶液で溶出したときに回収率が良くなかったので、リン酸水素二アンモニウム水溶液を使うことにしました。それから、OasisHLB処理によるリン酸化ペプチドのロスについてですが、エノラーゼの標準品を使って調べたところ、検出されたリン酸化ペプチドについては、処理前後でMSによるイオン強度にほとんど差はありませんでした。ということで、現状ではリン酸水素二アンモニウム水溶液で溶出した後、OasisHLBで脱塩・濃縮処理を行なっています。
―もしよろしければ実際にMassPREPを使って処理を行なった結果について教えて下さい。
これまでにいくつかの培養細胞とXenograftという、マウスにヒトのがん細胞を植えて作製した、ヒト腫瘍モデルからの抽出試料についてリン酸化ペプチドの解析を行っています。現状では、通常の状態のものと何らかの処理をした状態のものとの間で同定されてくるリン酸化ペプチドの違いを見るという解析をしています。結果の詳細についてはお教えできないのですが、MassPREPの効果についていくつか示します。試料によってバラツキはあるのですが、1つのwellで20~500μgくらいのタンパク質を含む抽出液を処理した場合、だいたい1度の測定で100~700個くらいのリン酸化ペプチドを同定できています。また、濃縮率は、こちらも試料によってバラツキはあるのですが、70~98%というデータを得ています。ちなみに濃縮率は、リン酸化ペプチドの数をリン酸化ペプチドと非リン酸化ペプチドの数の和で割った値として算出しています。このように実際の試料においてこれだけの結果を短時間で簡単な操作で得られる、ということには正直驚きました。
―ありがとうございます、これからも良い結果を出せ続けるといいなと思います。他にMassPREPリン酸化ペプチドキットが貢献できそうなところがありましたら、是非教えて頂きたいのですが。
リン酸化ペプチドの分析には充分貢献できていると思います。ただ、ここまで出来るのであればさらに、という欲も出てくるのは事実です。例えば、1ヶ所がリン酸化されたペプチドと2ヶ所がリン酸化されたものを分離できないか、とか。あるいは、セリンやスレオニン、チロシンといったリン酸化されているアミノ酸の種類ごとの分離はどうか、など、より細かな分離が出来ないものか、と考えてしまいますね。
―とても興味深いところですね。ここでウォーターズという会社に対するイメージについてお聞きしたいのですけれど、もともとはどのようなイメージをお持ちでしたか?
はじめは分析機器メーカーというよりも前処理用製品のメーカーとしてのイメージが強かったですね。かなり前になりますが、固相抽出カラムやメンブレンフィルターを使う仕事をしていた時期にウォーターズのSep-Pakシリーズの品質の高さを実感した経験があります。また、AccQ・Tagというアミノ酸の誘導体化試薬を使った高感度分析について検討していたこともあり、前処理用品のメーカーというイメージが強かったですね。その当時にもHPLC用の分析カラムや検出器は使っていたのですが・・・。その後、プロテオミクスの研究に従事するようになってからは、ウォーターズがMicromassを買収してLC/MSの事業を広げたことで、分析メーカー、特にLC/MSのメーカーとして強く意識するようになったのですが、逆に前処理用品のメーカーとしてのイメージが弱くなっていました。このように感じていた時にリン酸化ペプチド濃縮キットとしてMassPREPが登場し、期待以上の成果を得られたことから、前処理から測定までの大きな総合機器メーカーという意識に変わりました。また、ただ大きいというだけでなく、ユーザーに温かいといった好感の持てるイメージを持つようになりました。
―お褒めいただいて大変ありがとうございます。ではここで中外製薬様の PRをお願いします。
中外製薬は、抗体医薬を中核とするバイオ医薬の研究開発を推進すると同時に、従来から行われている化学合成による創薬にも積極的に取り組んでいて、患者さんのご期待にお応えするための新しい薬創りに励んでいます。私が所属している部署でも、皆がより良い薬創りを目標として様々な部署の人達と協力しながら研究を行なっています。例えば、立ち上げたばかりのプロテオミクス技術についても、薬創りのために有効だということが認識されると、さらに有用なものにしようと多くの人達の協力が得られます。それからこれは個人的な感想になりますが、研究所においては、縦横の隔たりが無く、とても風通しのよい雰囲気の中で研究ができるという、恵まれた環境にあると感じています。
―最後に新川さんのご略歴をお聞かせください。
大学院を終了した後、カネボウ化粧品研究所に10年ほど勤務していて、化粧品とか医薬部外品などの分析業務に携っていました。その後、文部科学省ゲノムフロンティア開拓研究「遺伝子発現および機能情報解析のための次世代プロテオーム解析システムの開発」プロジェクトに参加するために会社を退職して、東京都立大学(現、首都大学東京)大学院理学研究科の礒辺俊明教授の下でプロテオミクスの研究を6年ほど行いました。そして2006年に中外製薬に入社して現在に至ります。
―ありがとうございました。
担当者コメント:
新川様は第56回質量分析総合討論会でリン酸化ペプチドについての研究をポスター発表されるとのことで楽しみにしています。ウォーターズとしては、今後プロテオミクスの研究に貢献できるような商品をまた開発して、是非ご紹介していけるように頑張っていきたいと思いますのでよろしくお願い致します。本日はありがとうございました。
今回取材にご協力頂いた中外製薬株式会社ホームページはこちら