実測質量と質量分解能

さらに発展した質量分析計は、現在、早期の創薬研究の域を越え、様々なアプリケーションにおける構造的な特性解析のための主要なツールとなっています。その幅広い選択性や実用性から、他のLCMS技術は、今日数多くのメーカーから提供されている四重極飛行時間型(QTOF)質量分析計へと置き代わりつつあります。

より上位の質量分析計も存在しますが、QTOFのデータでも、測定された質量は計算されたモノアイソトピック質量の数ppm以内に収まります。また四重極システムの10倍以上の質量分解能があるため、質量欠損(識別要因としての機能を果たす、水素や他の原子の決定的な質量の値)によって、実側値から構造式の決定が可能です。化学種別分析という、例えばアルデヒドとスルフィドの違いを識別する分析は、四重極型質量分析計よりも質量分解能が向上し、0.035Daの違いを識別できるようになったために可能となりました。しかしながら、メチル化を含む代謝プロセス間の差異は、さらに識別が困難です。ヒドロキシル化(酸素の付加)に続く二重結合の酸化(H2の脱離)が関連する二段階の生体内変化で13.9792 Da増加するのに対して、CH2が付加すると未変化体(医薬品単体のレスポンス)の測定された質量が14.0157 Da増加します。しかし、一般的な四重極型質量分析計のように、質量分解能が整数(ノミナル)質量に制限されるときは、双方の測定値はいずれも+14 Daということになります。

 

精密質量と整数(ノミナル)質量

質量分解能が低い四重極型質量分析計でも、タンパク質などの高分子の分析には適しています。同位体ピークが互いに分離されない場合、一般的にタンパク質の質量は「平均」質量として定義されます。平均質量は、分子に存在する全ての同位体種の加重平均です。四重極型質量分析計に通常採用されている装置の質量分解能では、10kDa のタンパク質における分離が1.27倍に拡大します。質量が増えるに従って、この係数は大きく増加します(例えば、100kDaのタンパク質においては2.65倍となります)。ただし、通常のピーク幅(m/z 0.6)で装置の質量分解能を1000に制限するよりも、ピーク幅をm/z 0.25にする(質量分解能を4000に引き上げる)方が劇的に状況は改善されます。

実際に、高分子のESI-MS分析では、多価イオンが生じます。従って、そのスペクトルピークの幅は、質量電荷比のスケールになるよう、イオンの価数で除算する必要があります。例えば、10価または20価の20kDaのタンパク質は、それぞれm/z 約2000あるいは約1000以下において、0.9または0.45 m/zユニット幅の同位体群を生成します。 これらのイオンを、同位体を分離するのに必要とされるよりも著しく低い質量分解能(例えば10,000未満の質量分解能)の装置で測定する場合、価数ごとに単一のピークとなってしまいます。ピーク全体の幅は、装置によるピーク幅とイオンの価数で割った同位体群の理論的なピーク幅とを組み合わせることで決まります。装置のピーク幅は、多価のタンパク質のピークと同じm/z値を持つ低分子化合物の最初の同位体ピークによって決定されます。

 

どのくらいの質量分解能が必要でしょうか? それは現実的なものでしょうか? 妥協点は?

Journal of the American Society for Mass Spectrometryの執筆者による指針(2004年3月)から、明確な特性解析のための必要要件を考察してみましょう。C0-100、H3-74、O0-4、およびN0-4から成る整数(ノミナル)質量m/z 118の化合物の組成を明確に決定するには、34ppm以下の誤差であれば十分ですが、m/z 750においては、「関係していないもの全て」を排除するためには、0.018ppmよりも小さい誤差が必要とされます。

 

化合物の明確な同定のための質量誤差の改善の効果 (Quenzer, T.L., Robinson, J.M., Bolanios, B., Milgram, E. and Greig, M.J., Automated accurate mass analysis using FTICR mass spectrometry, Proceedings of the 50th Annual Conference on Mass Spectrometry and Allied Topics, Orlando, FL, 2002).

 

得られた結果から考えられる候補の絞込みに対する、条件の追加や測定値の誤差によるフィルタの効果

 

装置間の比較:ミリマスユニット(mmu)、測定値の誤差(ppm)および質量分解能

英国国家計量制度の一部門がドライブしているVIMMSプログラムのAccurate Mass Best Practice Guideによると、精密質量測定に使用される大部分の装置では、誤差が10ppmもしくはそれ以内の実測質量が得られます。

理論質量118Daのイオンを、最新の質量分析計によって誤差2mmu以内で測定すると、質量から化学式を明確に決定するための現在の一般的な基準とされる17ppm以内に収まります:

計算されたモノアイソトピック質量 = 118 Da

測定された精密質量 = 118.002 Da

質量差 = 0.002 mmu

誤差 [差/測定された精密質量 x 106] = 17 ppm

誤質量差が2mmu以内の装置でm/z 750のイオンを測定すると、2.7ppmが得られるはずです。Journal of the American Society for Mass Spectrometryから出版されている基準によると、前者は化学式の明確な同定には十分すぎるほどです。しかし、後者では、不十分です。このような高い質量分解能は、最上位のフーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴(FTICR)質量分析計だけが実現可能です。

使用目的の似通った装置を評価する包括的な方法は、二乗平均平方根、あるいは RMSエラー を計算することです。その方法について説明するため、以下の文章は飛行時間型(TOF)質量分析計の仕様から抜粋しています。

「装置の実測質量は、正常な使用条件下において、ある一定のm/z範囲にわたり、より良好な一定のppm RMSを得ることができます。これは、適切なリファレンスピーク(あるいは指定のm/z)を使用し、検体のピーク(あるいは指定のm/z)の多数の連続した繰り返し測定を行った結果に基づくものです。検体のピークおよびリファレンスピークは十分な強度を持ち、他の質量からの干渉を受けてはなりません。」 

そのために、重要な点と考慮すべきことがあります:

  1. 装置のキャリブレーション は、キャリブレーション用スタンダードを使用し、既知の質量のピークを用いて実施されていること。リファレンスピークは、時間の経過とともに起こる、装置のキャリブレーションの変化を考慮するために使用します。また、実測質量は、検体のピークを用いて決定します。
  2. 正常な使用条件下 には、(LC/MSのパフォーマンス確保のための)クロマトグラフィーの状態やMSの操作条件の詳細(質量分解能、目的のm/z、スペクトル取り込み速度など)も含まれます。
  3. 十分な強度 とは、イオンカウントが実測質量に悪影響を与えない強度を想定しています。イオンが少なすぎて、イオンの平均化に支障をきたす、あるいはイオンが多すぎて検出器が飽和状態になった場合、そのいずれも繰り返し測定の標準偏差に大きな影響を与え、RMSエラーの計算に悪影響を及ぼします。(装置のキャリブレーションに関しても同様です。)
  4. 干渉が無い というのは、既知の質量のピークが、同じまたは類似する質量のイオンの影響を受けないことを想定しています。ピークが重なると、質量測定に支障をきたします(装置のキャリブレーションに関しても同様です)。
  5. リファレンスには、通常サンプル分析を行う時のm/z範囲を代表するものを用います。

RMSエラーは、以下の式を用いて計算します。Eppm はppmエラーであり、nは考慮された質量の数です。:

 

 

RMSエラーによって、いくつかの測定値が「抽出する幅」(5 ppm RMSなど)のppm誤差の範囲から外れることがあるため、注意が必要です。測定の品質を確保するためには、多くの繰り返し注入を通して、前述の状態が満たされていること(特に強度と干渉の影響について、スペクトルのイオンの平均化とピーク分解能のバランスがとれていること)が必要です。報告された質量分解能と実測質量の多くは、RMSエラーではなく、単一の(任意に)選択されたイオンに由来しています。

シグナルが弱い(必要以上に高い分解能) の場合、イオンの平均化が不十分であり、そのために使用できなくなるということを、全てのアプリケーションにおいて想定しておくことが重要です。また、あまりにシグナルが強すぎても、検出器が飽和状態となるため、同様に使用できなくなることも考えられます。イオンの平均化とスペクトルの分解能のバランスがとれていることが理想です。

 

図に関する比較:

  • 四重極型質量分析計の質量分解能は、図の2つの化合物を識別するには十分ではありません。
  • 質量分解能がおよそ5000のTOFデータであれば、誤差5ppm以内で測定することができるため、2本のピークを明確に区別することが可能です。

実測質量は質量分解能、ピーク形状やキャリブレーションの必要性などのファクターによって、相互に関連する様々な影響を受けていることを理解しておくことが重要です。これらが明確に理解され、考慮されない場合、誤った組成式の割り当てや、その他の望ましくない結果につながることが考えられます。

 

四重極およびTOFのスペクトルピークとの重ね描き

 

図の中で、異なる化合物の2つのフラグメントは同じサンプルに由来しており、イオン源に同時に存在することがわかります。最高のクロマトグラフィーであっても、この問題の解決は困難であり、特に未知サンプルの分析では、より高い質量分解能が有用であることの理由の1つとして重要です。これはQTOFのプロダクトイオンデータとタンデム四重極からのプロダクトイオンデータを比較した場合にも、当てはまります。さらに、より高い質量分解能を得ることの利点として、質量分解能の劣る四重極データでは識別が困難なクロマトグラムでも、より高い質量分解能で抽出したイオンカレント(XIC)プロットでは、酸素を含む化合物とアルキルを含む化合物を選択的に識別できます。

 

MS – The Practical Art, LCGC (www.chromatographyonline.com)を参照してください。

  • Debating Resolution and Mass Accuracy, Vol. 22 No. 2, 118 – 130, February 2004
    • イオン源の比較と同様に、使用法の実用的な局面を中心に多くの問題を論じています

  • Petroleomics: MS from the ocean floor, Vol. 26, No. 3 March 2008
    • 最上位の質量分解能の装置に関するユーティリティについて論じており、現実的な問題と比較しています

その他の参考文献:

  • Methodology for Accurate Mass Measurement of Small Molecules, K. Webb, T. Bristow, M. Sargent, B. Stein, Department of Trade and Industry’s VIMMS Program within the UK National Measurement System, (LGC Limited, Teddington, UK 2004). VIMMS 2004 guidance document
    • 測定された精密質量研究の成功のために重要な問題を短く簡潔にまとめた概論です
  • Dealing with the Masses: A Tutorial on Accurate Masses, Mass Uncertainties, and Mass Defects, A. D. Leslie and D. A Volmer, Spectroscopy, Vol. 22, No. 6 June 2007
    • ペプチドとタンパク質のラベル化とKendrick質量欠損を含む、基本的なトピックについて詳しく述べています

 

 

用語

整数(ノミナル)質量 ユニットマス。

スルファメタジンの整数(ノミナル)質量 = 278

[C12H14N4O2S]

平均質量 全ての同位体の各要素とそれらの自然存在比から計算された質量。

スルファメタジンの平均質量 = 278.3313

[C12H14N4O2S]

計算された精密質量 (モノアイソトピック質量。)指定されたイオンについて個々の同位体の質量を合計することによって決定される質量。

スルファメタジンの精密質量 = 278.0837

[C12H14N4O2S]

精密質量 (実際に「測定された精密質量」。)実際に装置で測定した質量。(通常)小数点以下第3~4位まで報告されるm/zの測定質量。

質量の増加に伴って、定義する質量の差も増加するため、ピーク形状はより大きな役割を果たします:

ユビキチンの整数(ノミナル)質量、計算精密質量、平均質量

[C378H630N105O118S] 8556 8560.6254 8565.8730

 

Unit 16.1, 質量分析によるペプチドとタンパク質解析の概要, S. Carr and R. Annan, in Current Protocols in Protein Science, J. Wiley and Sons (1996)

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